生い立ちと家づくりにかける想い

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大湯工務店 代表 大湯 剛史

~大湯工務店代表 大湯剛史 
生い立ちと家づくりにかける想い~


◆大湯家の長男として生を受ける


昭和59年2月20日

青森県弘前市にて、
大湯家の長男として生を受ける。

剛史(たけふみ)という名前は、


剛:強く  史:歴史に残る


そう願い名付けられたそうです。


オオユタケフミ


実は子供のころは言いづらくて、
この名前があまり好きではありませんでした。

けれども大人になるにつれて、
名前の意味を意識するようになり、


名前に恥じないように生きていきたい


と思うようになりました。

家族は両親と姉と妹の5人。

リンゴを作る農家で、
裕福とはあまり縁のない家柄で、
小学校の低学年までは、
姉のお下がりの洋服を着た覚えがあります。

◆お前はクズ

3歳から父に教えてもらっていた野球。

小学校4年生で大好きな野球に入部ができ、
とても生き生きとした毎日を過ごしていました。

しかしそんな楽しかった時間も、
わずか1年で失うことに・・・・・・

10人くらいの友達と一緒に、
学校からの帰り道のことです。

ふざけ合って歩いていた子が、
歩道から車道にはみ出してしまい、


「キキーッ!!!」


幼稚園の送迎バスが急ブレーキをかけて停止。

幸いにも乗車していた園児にも友達にもケガはなく、
バスから降りてきた運転手さんも、


「今度から気を付けるんだよ」


とやさしく言葉をかけてくれて、
何事もなかったのように終わりました。

と思っていたのですが・・・・・・

次の日学校に行くと、
昨日の出来事が学校中に知れ渡っていて、
一緒に下校していた10人ほどの生徒が、
先生の部屋に集められました。

一人ずつ順番に話を聞かれ、
張本人ではないとわかると帰されていきました。

最後に残ったのは私だけ。

もちろん関係のないと思っていた私は意味が分からず、


「なんで僕が残るんですか?」


そう聞いた瞬間に、


「その口はなんだ!!!!」


と怒鳴られ、
首を鷲づかみされたのです。


「お前はクズだ!!!」


反省の色がないから野球部には行かせない、
とその後も意味もなく暴力を受けました。

その時の光景は今でも鮮明に記憶に残っています。

大好きな野球ができなくなり、
暴力の標的にされる学校には行きたくなくなりました。

しかしそんな時でも両親に救われました。

父と母は私を信じてくれて、
いつでも私の事を理解しようとしてくれていたことが、
自分には伝わっていました。

◆父がしてくれたこと


部活に参加することができなくなり、
早い時間に学校から帰ってくるようになると、
いつも父は仕事を中断し、
そっとグローブを手渡してきました。

暗くなるまで家の前でキャッチボール。

日が暮れると父が自作したバッティングセンターで、
バットを振らせてくれました。

大好きな野球ができなくなった私を気遣ってくれた毎日。

私が夕飯を食べたりお風呂に入っている時に、
父は畑にライトをつけて、
中断していた農作業の続きをしていました。

畑がライトで照らされ、
ラジオの音がかすかに聞こえていた風景は、
今でも覚えています。

◆私を信じてくれた恩師

姉は中学校でソフトボールをしていて、
両親に連れられて姉の試合をよく見に行っていました。

私が中学校に入学すると、
そのソフトボールの顧問が私の担任に。

日々の暮らしの中で感じたことや、
やってみたいことなどを書いて提出するようにと、
先生から日記を渡されました。

しかし、私は小学校で先生不信になっていたこともあり、
日記には適当なことばかりを書いて提出していました。

でもその先生は、
私のどんなに馬鹿げた文にでも、
丁寧に受け答えをしてくださったのです。


この先生なら信用して話や相談ができる!


次第にそう感じるようになり、
親以外にも信頼できる大人が見つかったことを、
とてもうれしく思いました。

中学2年の2学期、
その先生に職員室に来るよう言われました。

ふと小学校の事件が頭に浮かび、
少し怖さも感じながら職員室へ。


「お前にどうしてもやって欲しいことがあるんだが」


それは委員長をやって欲しいという話でした。


「やれるか分からないし、迷惑をかけたくないので・・・・・」


と私が返事をすると、


「お前だから頼んでいる。
 お前の責任感と正義感の強さは
  俺が知っている。
 だから頼んでいるんだ。」


そういってもらえたことがうれしく、
3年生では委員長、執行部を引き受けました。

無事に任務を終えた時、


「やっぱりお前にやってもらって正解だった」


と言われ、


自分でも頼りにされ、感謝されるんだ!


と感じさせてくれた先生には、
今でも感謝しています。

◆大工になりたい!

中学校を卒業し、
高校に入学したと思ったらあっという間に3年生、
進路を決める時期に。

実家はリンゴ農家でしたが、
叔父が大工をしていました。

叔父が家を建てている姿を見たり、
大工道具の手入れをしているところを間近で
見て育った私は、
自然と大工に憧れを持つようになっていました。

野球ができなくなった小学生の頃は、
家の押し入れに棚を作るなど、
大工の真似ごとをしていました。

どんなにへたくそですぐに壊れたとしても、
ものを作るということに感動を覚えていました。

ただ、家のあちらこちらに手を出していくので、
両親は家が壊されやしない不安だったと思います。(笑)

しかし両親は作ったものをいつも褒めてくれました。

今振り返ってみて両親の温かさをしみじみと感じています。


大人になったら絶対大工になって家を建てる


子どもの時のその思いは、
進路を決める時期になっても変わっておらず、
迷わず大工として働ける就職を目指します。

しかし、当時は就職難で有効求人倍率が0.6%ほど。

学校に大工の求人は皆無。


このまま待っていても夢が閉ざされるだけ


そう考えた私は、
自分の足で職探しをすることに。

学校を休んで職業安定所に行ったり、
工務店に直接お願いに歩いたりもしました。

しかし、そんなに簡単にうまくいくはずもなく、
心が折れそうに。

そんな中、
母の友人が家を建てた時の大工さんを
紹介してくれるとのことで、
工務店の社長さんに会いに行きました。

面接が始まるといきなり、


「大湯君、いつから来られる?」


あっさりと採用が決まり、
高校を卒業をした翌日から働かせてもらえることに。

地元の兼平建築で大工の道を歩み始めました。

兼平建築時代200.JPG
兼平建築時代

◆こんなはずじゃなかった・・・・・

しかし、
大工の世界は甘くはなく、
毎日のように罵声を浴びせられたり、
道具や材料を投げつけられたりすることも。



やりたかった仕事ってこんなものなのか?

もうやめてやる!!!


何度もそう思いました。

けれどもそんな時、
いつも祖父が励ましてくれました。


「3か月がんばれ!そうすれば1年やれる!」


そう言われ続け、
気が付けば3年が経っていました。

そのころには、


自分にいやがらせをした職人を絶対に見返す!!


そんな気持ちが沸き上がっていました。

そのためには確かな技術を身に着けなくては
いけないと考え、
仕事を終えてから夜間の大工の訓練校に通い、
技術と合わせて知識も学んでいきました。

入社から7年。

社長から仕事を任されるようになり、
現場では先頭に立っていました。

当初の仕事は8割くらいが下請けの仕事。

初めのうちは達成感があったのですが、


年々何かが違うと感じるように


その違和感は、
お施主様と直接お話ができないことにありました。

職人としてアドバイスをしたくても、
下請けという立場ではそれができません。

家が完成して引き渡した後に、
一部を壊して作り直すことがありましたが、
その部分が私がアドバイスをしたかった所だったことも。

一生に一度と言われる家づくりが、


そんなことでいいのか?


もっとお施主様に寄り添えないのか?


次の理想に向かうために、
建築士の資格を取得することを決心しました。

一日の仕事が終わると、
そこから深夜まで猛勉強。

学生時代にも経験しなかったくらい、
人生で一番机に向かった時間でした。

努力が実り、
建築士の試験に合格。

理想の姿に一歩近づくことができました。

◆自分一人で

建築会社の一員として働くなか、
知人から美容院の改修工事の依頼がありました。

すぐに社長に店舗改修を受けてくれないかと
相談したところ、
社長の返事は、


「NO」


その後、毎日のようにお願いしましたが、
返事は変わりませんでした。

最後には、


「やってやりたいなら自分でやれ」


と言われてしまい、
仕方なく知人には断りを入れました。

すると知人が、


「社長が認めてくれたんじゃないの?
 お前がやれって言われたんだからやってよ!!!」


確かにそうだと思った私は翌日、


「社長、私にやらせてください!」


工事期間中は会社を休ませてもらうことも合わせ、
お願いをしました。

すると社長が、


「やってみろ!会社の機械も使うんだったら使っていいぞ」


と言ってくれたのです。

自分一人で請け負うことになった店舗改修。

打ち合わせ、図面作成、資料準備など、
全部を一人でやれば毎日深夜になることは
言うまでもありませんが、
それでも充実していました。

工事がスタートすると、
お施主様と現場で、


「ここはこうした方がよくないですか?」


「こんなアイディアが浮かんだのですがどうですか?」


というようなやり取りがあり、
完成してお引渡しの時には、


「ありがとう!!!めっちゃいい!!!大満足!!!」


と、ありがたいお言葉を直接頂くことができました。

その時思いました。


自分が求めていたものはこれだ


初めて自分で請け負ったこの1件の工事が、
私の転機になりました。

社長にその時の想いを熱く語り、
独立したいと相談しました。

社長は、


「そうか、お前はいつか遅かれ早かれやると思っていた。」


「やりたいなら全力で頑張れ!!」


「お前をきちんとバックアップしてやる!」

そんな温かい言葉で、
背中を押してくれました。

◆大湯工務店 創業

私、大湯剛史は、


お施主様のご家族の笑顔が見たい


お客様の歴史に名を残したい


その気持ち一心で、
2017年4月に大湯工務店を創業いたしました。

創業してしばらくは、
下請けの仕事も請けながら生活していましたが、
徐々に直接自社で請ける仕事も増え、
2020年からは完全に下請けを脱却することができました。

様々な方からのご紹介も多く頂き、
感謝してもしきれません。

家が完成してお引渡しの時に、


「大湯工務店に出会えて本当に良かった!!」


そう言って涙を流しながら握手してくださった方もいました。

お施主様から伝わってくるそのお気持ちが、
私にとって最高の宝物であり、
次への活力になっています。

今の世の中、
思ってもみなかったような出来事が、
色々と起こっています。

けれども大湯工務店はそれらにめげることなく、
お施主様、ご家族様、ご近所様の全ての皆様が、
笑顔でいられるように願い、
お客様目線で進化し続け、
この先も地域密着型の工務店であり続けられるよう、
誠心誠意お応えしてまいります。


         大湯工務店 代表 大湯剛史

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